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三浦がFAで移籍か?

ハマの番長、苦渋の決断
ベイスターズニュース 2008/10/10

試合前にファンの声援に応える横浜・三浦=東京ドーム
 石井琢、鈴木尚、川村に続きV戦士がまた一人、横浜を去る。三浦大輔投手(34)が9日、フリーエージェント(FA)宣言を決断した。高卒17年で球団歴代5位の通算124勝、6度の開幕投手が「ハマの番長」の勲章だ。背番号18の心にいつもあった「もう一度、優勝を」。ひじにメスを入れ、肩をすり減らし、やるだけのことはやった。現役でいられる日々は多く残されているわけではない。しかし横浜では展望は開けない。一時代を築いたエースの、苦渋の決断だ。

 最後の務めという思いがあったのだろうか。

 8日のヤクルト戦。10安打され、4点を失いながら八回までマウンドに立ち続けた。

 これで規定投球回に到達。1995年の先発定着後、規定回数に届かなかったのは、右ひじを痛めた2002年と手術直後の03年の2年しかない。右肩痛に悩まされた今季だったが「200イニングを何年も投げてこそエース」と言い続けた背番号18の、矜持(きょうじ)の発露であるに違いなかった。

 悩み抜いた末の決断。川村、石井琢、鈴木尚と戦力外通告を受ける中、交渉が続いた。若林球団オーナーは「全力で引き留める」と明言。複数年の好条件は目の前にあった。選んだのは決別の道だった。

 「もう一度優勝がしたい」。報われることが余りに少なかったと言うべきだろう。

 右腕は身を粉にしてきた。奈良・高田商高時代に甲子園出場はなし。恵まれた体格があるわけでも、抜きんでた剛速球を持っているわけでもない。支えは人一倍の練習量。精緻(せいち)な制球、多彩な変化球、球種の別なく変わらぬフォーム。春季キャンプ、沖縄の夜、若手に交じって行うシャドーピッチングは風物詩だった。

 弱小球団にあって「ハマの番長」は期待を一身に受けた。横浜市内の小学校訪問に率先して出向いた。球場ではサインはもちろん、野球少年にグラブをプレゼントするなどファンサービスもチーム一だった。

 12月で35歳。野球人生の終盤に思う。「残りの野球人生をどのようなものにするか」。振り返るのは1998年の日本シリーズ。第3戦で先発し、結果は3回持たず、敗戦投手に。歓喜の記憶はだからほろ苦い。以後は3位が最高で、優勝争いには一度も絡めなかった。最下位が今季も含め5度。今季はしかも歴史的惨敗だ。球団フロントが来季以降、チーム強化の明確なビジョンを持ち合わせているわけではない。一野球人として、純粋な勝利への渇望に身を任せることを決めた。

 十分に尽くした。そう思わねば前に進めない。

 背番号18が横浜に刻んだ功績は色あせない。勇姿を忘れない。「家族のことも含めながら(移籍先を)考えたい」。それを誰が責められよう。
 最悪の事態が近づいていますね。三浦はフロントや球団と別れたいようです。功労者をあのように切っていては主力選手が横浜を続々と抜けてゆくでしょう。
 今のところ報道しているのが神奈川新聞とzakzakくらいなので、憶測記事だと信じたいところですが…。
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